どうにもならない事 2010年6月17日 病気の事でテレビに出てから私は、皆さんが大腿骨頭壊死症という病気は別に不治の病というわけではなく、それは治る病
気だという事を正しく認識できるようにする為に、皆さんが私の状況を更に良く理解し、なおかつ私のケガ、発病、治療、看
護、快復の全プロセスの中から教訓が得られ、助けになれるようにする為に、ブログを始めました。
患者の皆さんが希望を見い出せるように、大腿骨頭壊死症に打ち勝つ信念を持つ事ができるように、そして私も社会の為に
いくらかの良い事をし、患者の為に良い事をしたいという願望を満足させる為に、私は私の職場、住所、QQ番号、携帯の番
号を社会に公開して、無償で相談に応じて、力の及ぶ限りの援助をできるかぎり提供してきました。
1年半ばかり大腿骨頭壊死が快復した有名人になって、受け取った電話、QQに登録した病気友達は数え切れず、質問への
答え、メールへの返信も無数にありました。たくさんの来客や、受診に来た患者を迎えて、検査に付き添ったり、レントゲン
写真を見たり、専門家に連絡したり、カウンセリングや入院などで関連する事もとても多かったのです。総じて言えば、要す
るに忙しく、負担が大きくて、疲れて、いささかの金銭を費やすことだったのです。でもこれらは何でもありません。私は心
楽しく、充実していたし、病気の人にメリットがありさえすれば、私もやりがいを感じていたのです。
しかし、1つの問題が私を何度も何度も困惑させ、どうにもならなくて気持ちが落ち込んでしまうのです。この問題に私は
答えられず、解決もできません。それは毎回友人達が「お金が無い」と言う時です。
そう、お金が無くてどうするのか?お金が無くてどうやって治療するのか?世界中にただでご飯が食べられる所がありますか?
けれども、なすすべも無くその人を見ていると、一歩一歩身体障害に向かっているのです。もしお金があれば、病気は良く
管理されて身体障害などという結果にまでは至らないのです。この事が私を悲しくさせます。誰が私に解決策を言えるのでし
ょうか?私は誰に尋ねたら良いのか?上司、(党の)指導者、国、大財閥、大会社の社長、慈善団体・・・・・
彼らを助けに来てくれる人はいるだろうか?いつになったら私の悲しみは無くなり、そして気軽にこの問題に答える事がで
きるようになるのだろうか。そういう日はあるのでしょうか?もしかしたら私は本当に無邪気で単純で、情にもろいのかも知
れません。これらの友人達が病気で苦しんでいるのを、平然と見ていることなどはできないのです。
30年近く看護師で、手術室で10数年働いてきた私ですが、最も見ていられない事は病人が痛みの為に泣き叫ぶところです。
でも、それは解決できる方法があります。そして今、この「病気を治すお金が無い」という問題は解決する方法がありません。
この問題はたびたび私の前に立ちふさがり、私を困らせています。私にはどうしたら良いか分かりません。
ある友人が私に言いました。「病気を治す為に蓄えを使い果たして、借りられるお金は全部借りた、このせいで借金で首が
廻らない」と。また、ある友人はこう言いました。「家にあるアワ(粟)、家畜を売ってから治療に行った」と。更に、関節
の硬直や壊死した骨頭の治療の為に、腎臓を売る為の斡旋を私に頼んだ友人もいます。ある人は「私の唯一の望みはお金があ
って、一度でも良い治療をして気が済む事です」 またある人は「今は病気を診てもらうのがとても高い。病院はいつになっ
たら安くなるのか、(金銭的に)優遇してくれるのか。ちょっとは安くしてくれればいいのに。この病気を治す為に一体いく
らのお金を使わなければならないのか。善良な人が助けてくれるのを土下座して頼みたいですよ」・・・・・・・このように、
この種の問題が多いこと、多いこと。
あぁ、そんなにも多くの友人達が、お金が無いために良い治療が受けられない。そんなにも多くの年若い男性が、病気を治
すお金が無い為に見る間に姿勢がおかしくなり、脚が不自由になって障害の為にすばらしい人生を失ってしまうのです。
どうにもならない!本当にどうにもならないのです。私は同情して気の毒に思い、お金を少し渡して気持ちを表したいと思
った事もあります。けれど私は結局何もしてあげられませんでした。これは一体どういう問題なのでしょう。個人の問題?、
家庭の?、社会の?、国の?、制度の?、分かりません。もしかしたら元々私が考えるべき問題ではないのかも知れません。
それに、常識的に考えて、口を挟んだところでどうにもならない事なのです。
けれども私は考えざるを得ないのです。その事はいつも確実に私を困らせています。本当に苦しい事です。本当にどうしよう
もなく、どうにもならない事です。
皆さん、仮にあなたにお金が無かったとしたら、おそらく天命に従うことができるだけでしょう・・・・・・・
2010年6月17日夜
|